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プロフィール
むろさん
むろさん
この世に現れて56年。来世はブナの木になっていたい。おそらく300年は立ち尽くしていられるであろう。そんな期待を抱いて山を歩いたり、木の実を拾ったりして生きている私です。
樹が好きです。一方通行とは言え、樹と話しが出来ます!渓流に山女を追う釣り人であり、はんこ倶楽部を運営する会社の社長さんでもあり、すぐに子供たちと仲良しになれる「おもしろおじさん」とも呼ばれ・・・はたまた、月を拝む詩人であったりと、変幻自在。いつまででも月光仮面のように
不思議な人でいたいものです。
  

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2011年09月05日

仕事とは言え、旅モード・・雨宿り?

9月4日 台風はまだ駄々をこねているのかな。
仕事のクレームを解決するために
月光仮面は本栖湖から山梨入りを決めました。
はんこの里、三郷(みさと)へはこの本栖道
を使うのがいちばん早い。
国道の表示には「富士山西南。大雨警報」
とあった。
総雨量200ミリを越えると
本栖道も通行止めだろう。
幸いに通行ができた。降りしきる雨の中
2箇所に土砂崩れの大掛りな工事箇所があった。
人気のない夜の山道に掘削機の音が響き、
片側交互通行だ。たまにしか行き来のない
車の誘導に、警備員が立っていた。
彼は何を待っているのだろう?
雨の中を登ってくる車のライトの灯りをか。
しじまに明ける夜明けの薄明かりをか。
かるくクラクションを鳴らして彼の脇を
とおり抜けていった。

本栖道にはずい洞が数箇所ある。
山あいのトンネルは陽が落ちると
刹那さに灯がともる。
土砂降りの雨音はふっと止み 
フロントの景色は冴え冴えとして
ワイパーは自覚の無いままに
ガラス面をまさぐっていた。
そして、出口の手前でエンジンを停めた。

トンネルの向こう側の、土砂降りの現実は
オレンジ色をしている。
雨がカーテンのようにかぜにたなびいて
いる。優しスローモーションで・・
雨は、私たちを叩きつけては
いないのだ。







  

Posted by むろさん at 03:19Comments(0)山あいの雨

2011年09月02日

徳永英明の声♪

ここ数ヶ月 家でもクルマの中でも 店に入っている時間も
徳永英明の声に浸っています。
函南中学時代の同窓生「健ちゃん」の説によると
徳永の声はアルファー波をヒトの脳へ発生させるようです。
彼「徳永英明」の歌声が、聴くヒトを穏やかな気分にさせる
根拠はここにあるのかと、「仕方なく」納得しました。

どこかの自動車メーカーが徳永英明に、自車へ向かって
詠い掛けさせるTVCMを見ましたが、ナンセンスの極みですね。

ある朝、店の開店とともに徳永英明の「ボーカリスト1」を
流してみたところ、スタッフの A・Y嬢曰く、「社長~朝聴く曲じゃありませんよ、、。」
ご尤もだと思いました。・・ので
以後は独りぼっちで店番する時だけ・・・・、
大きなボリュームで聞き込むようにしています。
中でも「V2]の4曲目「異邦人」と
「V3]の5曲目「やさしいキスをして」は
その歌詞がいいんだなああ。

明日なんかいらない!
このフレーズに差しかかると
鼻歌にチカラがこもって
もう、 浪花節ですよ~顔02





  

Posted by むろさん at 00:02Comments(0)

2011年09月01日

喫茶店探しは嗅覚と 引き寄せが決め手ではないかと
感じています。
フェイスブックで知り合いになった、、。山下さんが
紹介していた喫茶店へ、ついに行ってきました。
土蔵にしては 私の訪ねたなかで、最も小振りでしたが
どうもヘン?なんです。
と云いますのも、、。
店に入る・・・というのではなく、
いともたやすく、連れ込まれてしまったような
客になれないまま 気が付くと奥さんの知り合い
になってしまっていた、、、。
なんでこんなにお喋りしてしまうんだろう?
奥さんが差し向ける話題が、ぼくに心当たりあることばかりで、
この奥さん、暗に僕のこと識っているかのよう、、。
中でも柿の木の話は、熱が入ってしまいました。
(話の内容は割相します)
おもむろに冷蔵庫から冷凍柿を取り出して、
差し上げます。と。渋の抜けた甘みにとろけんばかりの
冷凍柿でした。ご馳走さまでした。

きっとタネはそのまま生きているだろうと
思い、持ち帰ってプランターへ埋けてみました。
これがその柿の種です。
きっと発芽すると信じています。

はやく 芽を出せ 柿の種♪

  

Posted by むろさん at 02:04Comments(0)お茶しよう

2011年08月26日

大きな樹のはなし。

8月25日 三島駅北店へ樹木医の方がおい出になりました。
名刺を作り変えたいとの相談でした。ご自身で作られた名刺でしたが、
お名前の左に薄いグレー色で記された肩書きに目が留まりました。
樹木医・・づっと憧れ、そして逢いたかった人でした。

じつは私、巨木フェチなんです!
3年ほど前 ビッグローブに独り樹という路傍の独立樹ばかりを
アップしたブログを立ち上げていましたが、、。(現在もそのままですので
ご覧になりたい方は検索してみてください)

暮らしの片隅で「幸運にも」切り倒される運命に見放され?
オレ独り生き残り、かつての同胞の分まで枝を張り葉を繁らせよう・・

そんな大樹の哀切な心意気を感じてしまい・・。
もう、だめ。
ハンドル握り締めながら
・・・・・・・・眼潤ませてしまうんです。


毎年秋になると一面に散り落ちる葉が
屋根のトヨに詰まる。
走る車がスリップする。
家が陰る。
路がまっすぐに通らない
だから
住民総意ののもと、
切ってしまおう。
そんな論理が大手を振っていた時代が
つい最近までありましたね。

共生と言う概念の咀嚼が繰り返されたことが
居住区での全ての大樹の登録にまで至った
社会的な背景と観てもよいでしょう。

さて、樹木医さんだ。
樹の命を救命してくれる人。
よろしく頼みますよ!











  

Posted by むろさん at 01:34Comments(0)樹と話す?

2011年08月23日

山の地図・国土地理院の地形図有りますか?

今日は いちょう並木店へおい出になった二人の男性客の話しです。

一人の方は、登山~渓流釣り~そして今は沢登りをなさっているお客さんです。
河口湖の北、御坂峠付近の地形図を探していたそうで、都内の本屋さんにも置いていなく、
沢登りのリバーク計画が立てられないと悩んでいたところだそうです。
はんこ倶楽部の看板の右隅には「山の地図」と書かれています。
仕事へ向かう途中、ふと目に留まり、ハンコやなのになんだろう?と気になったようで
閉店直前に「山の地図ってかいてあるんだけど・・」
昭文社の「山と高原」シリーズの前まですすっと向かい
心なしかがっかりした様子でした・・・。が私が
ここにも→ありますよ。と額に入った地形図「八ヶ岳」を指さすと、
その方、「おおおおっ」と雄叫びを押し殺し、
「あるわけ無いよな・・山梨県御坂峠周辺なんて・・」
そこで 私が、「三つ峠ありますよ。御坂側が一般向け登山ルートですか・・・」
そこまで云うと、かれの放った雄叫びと私の「ら。」が重なり
妙な二重唱となって店内に木霊しました。
こんな具合に・・「らおおーーー!」2万5千分の1地形図「御坂」を手にし、
「ついにあったあ~~!」大喜びしてくださいました。

ざくざく出てくる地形図の山・・
いやいや、山の地形図に 彼の目はランランと輝きだしました。

「天城の先、河津の鉢の山付近は、、」
「う~ん残念。天城は東西に二枚。その何とかって言う山までは・・・・」
と終わらぬうちに
「おおおーっ」
またしても店内には感嘆符が四方八方に飛び交い・・。
「XXの川があるよー」「ここがね、0000ですごいんだよ。」
(ここだけの話しということで大事なところ割愛させてもらいますです。)

「え~~それじゃあ入れ食い状態ですねえ~~!」とわたし・・。

すでに話題は わたしの趣味、渓流釣りの方へ流れ出していました。
二年間ご無沙汰していた釣果が何の苦労もなく、
わづか3メートル弱の竿でぽんぽんと大型の天然あまごが釣れる。釣れまくる!
とは!夢のような実話に酔いしれるわたしの前で
彼は3枚の地形図を買い求めて行きました。

もう一人は雨に濡れながら自転車でやって来た
市内沢地の少年 S君。
雨粒したたらせながら、すすっとわき目も振らず地図コーナーへ向かい、
「昭文社の山と高原地図じゃだめなんです。国土地理院の2万5千分の1の地形図はないねえ。」
「おっと今どきのこわっぱにしては、スパスパと国土地理院なんて、言葉つかい慣れてるなあ・・・」

「あなどるなかれだぜ!!ほうら山の地図がほとんどだけどね。本物の地形図だよ・・。」

「あったあ。夏休みの自由研究で液状化の起こりそうな場所を調べているんです。」
「ほう~っ。それで・・?」
「川の蛇行の跡や、昔河原だった土地は地形図でないとだめなんだ。昭文社の山と高原では載ってないんだ。」
「!!!!この子ナニモノ!?」

「三島市の地形図 ありますか?」
一瞬ヒヤッとしましたが、たしか三島と沼津は需要を見込んで
取り寄せてあったはづ・・。

・・・売れ残ってました・・

ほっとして??少年にみせると

「やったああああああ~」大喜びしてくれました。
「この川の辺りなんて昔の川の蛇行の跡なんです」

「ちょっ ちょっと待て。その川はな、柿田川だ。巨大な湧水からの流れだ。
狩野川の旧河川跡ではないよ。それを云うのならこっちだ・・。」

「ここだ→・・・~」
私は地図の中の長伏公園の南側付近を指さしました。
U字型の川の流れがそれでした。
三島市の北縁、沢地の少年には市の南縁 長伏地区の
ことは知らなかったようです。

「絵に描いたような三日月湖だよ。行って見るといい。」
「はい。行ってみます。」
歯切れのいい返事でした。

君は中学生かい?」
「いいえ 小学4年です」

「・・・・・!!こんな子初めてだあ」

「地図折ってくれますか?」

「ドキ~ん!!」実は、大学の時のフィールドワーク以来、地図折りしたことが無かったので
どぎまぎしてしまいました。
 
「たしか山・谷・山・谷のジャバラ折りしてから二つか三つ折りだったよな・・。」
「ジャバラの山が少しだけ低く折り込んで擦り切れないようにするんだったよな・・。」
少年の期待に応えてあげなくては・・ 冷や汗ものでしたが、何とか様になる地図折りとなり
ほっとひと安心でした。
「はい270円です。」

「お小遣い終わっちゃいそうだ・・。」

『そうだろうな、小学4年生にとっては270円は大きな出費なんだろうナ・。』
雨に濡れないようにジッパー付きのビニル袋へ入れてやると、
「ありがとうございます」
気おくれの無い爽やかな声でお礼を言ってくれました。

沢地の少年Sくん。夏休みも残すところ10日。
自由研究 がんばれ!。






  

Posted by むろさん at 02:40Comments(0)山の地図売ってます。

2011年08月17日

天城山に登ってきました 万二郎岳から箒木山トレッキング

こんばんは
はんこ倶楽部は3日間 全店でおやすみです。
父の墓参りも終えた15日、久し振りの山登りに向かいました。
今回は天城山の箒木山です。
360度パノラマが楽しめる。との紹介を見て
軽い気持ちで向かいました・・・・・。

標高1299メートルの万二郎岳頂上から南方へ
荒れた登山道を下りました。、予想と違う何かを感じつつ
タイガーロープと小さな赤テープを頼りに
急斜面を降りてゆきます。
アブと小バエがうっとうしく付きまといます。大きな岩を過ぎると
林が明るくなり、ひとつ尾根を越えると
山とは思えないような平坦なところへ出ます。
ナスカの地上絵の写真に出てくるような平地が広がっています。
パラダイスだなあ・・・
9基の巨大風車を知り合いに写メしたまでは
良かったのですが・・・

振り返ると下ってきたばかりの万二郎岳が彼方にそそり立ち
・・・帰路はあの山を登りなおしか?
???思考がこの後に訪れる現実を
理解するまで少しの間が必要でした。
「マジかよ?!」
大仁の城山(岩山)に樹木を被せたとでも云いましょうか・・・
毛無山を真下から一気に直線で登って行くようなもの・・
帰りの道にしては、登山歴トリプルBクラスの自分には
心から「辛い」と感じました。
思えば急な下りだった。右膝に始まった痛みが
ここまで降りてしまった後悔に鈍痛にも似た不安を掻き立てます。
鹿の鳴く声が 呆れ声に聴こえ、「黙ってくさでも食べてろ!」
またもや藪の向こうで鳴くので「姿出せよ!」当り散らしたりしてました。

この難局を越えなくては、僕に明日は無い。明日は仕事だ・・・?

そう思い直し気を取り直し、急峻な万二郎の懐へ向かいました。
ようし登ったるで~ (気合が入ると関西弁になってしまうのです)
ハエとアブがぼくを付きっ切りで励ましてくれています。

頂上近くに見えた「鬼の袴石」を過ぎると山の霊気が変わるのが感じられます。
タイガーロープが張られていなかったなら、縦横に走るモノノケの路をさ迷っていただろう。
万二郎恐ろし。


  

Posted by むろさん at 00:38Comments(0)山登り

2011年08月14日

今宵は望月

こんばんは 8月14日 どーんと出ましたね満月です。
月の呼び名では 望月です。
東の山を越え出て鶏のおしりからぽん!と産み落とされたままの卵のような
いのちのパワーを私は感じます。
見入っていると、円く灯りを灯すお月さんの姿に過ぎませんが
目を逸らした瞬間、不思議な存在感が気になりだします。
その繰り返し。
足元に目を落とすと 夜目に慣れるに従って、月影が濃く映し出されている事に
驚きます。昼・夜を光線の強さ明るさで測る見方と、影の濃さ強さで識別する
物差しは表裏であっても等しいと私は想っています。

それでは、サッと一風呂浴びて月光ドライブに行ってまいります。
10時を過ぎれば無料!の伊豆スカイラインが私の定番コース。
満月の下の月光ドライブ。幽玄の絶景ビューをあなたも堪能してみませんか。

   

Posted by むろさん at 20:54Comments(0)月光ドライブ

2011年08月14日

同人誌の思い出

詩を書く人々との出会い・・・・・

京都で暮らしていた頃 下鴨神社近くの喫茶店を発行所にお願いして
「てんじょの鼠」という名の同人詩誌を発行しました。
その喫茶店「麦」はもうありませんが、湯治ののマスターは東大出身の
方でわたしたちの申し入れに一も二も無く快諾してくれました。
何を言おうとしているのか、現代詩ってのはサッパリわからへん・・・
とまあ大方の声は書評以前の段で 踵を返されてしまいました。
仕方が無いことです。詩は梵さんが悟りを得るまでの道程に似たとことがあり
ことばの霧は一朝に晴れ渡るものではありませんからね。
かくして 創刊号は大敗を喫しました。
同人誌も営業活動をするんです。地元京都新聞社 三大紙の京都大阪各支局
他は著名な詩人宅 出版社 他の同人誌へバンバン送りつけるんです。
1981年当時はメールもインターネットも無い時代です。
貧乏人の集まりでしたので、発行費用に発送費+はキツかったのを覚えています。

ところが第2号は完成度の高い作品をメンバーが持ち込み、満を持して読売新聞の夕刊
誌評欄へ、期待感あふれる紹介記事が載りました。ところが・・・
仲間の全てが読売新聞を購読しておらず(タイガースの宿敵巨人の会社)
好意的な評価も関西という風土にもみ消された格好となりました。
残念というよりは、無理も無いことといいましょうか・・・。

その時の 私の作品は

して風は、止んでおります。と かざぐるまの
勤めはたえず 風上へ向けられる・・・・

のフレーズで始まる「かざぐるま」という一編の詩でした。
何人かの年上の女性が 私の目の前でこの詩を朗読してくれたのが
嬉しい思い出です。
全編をご覧になりたい方は メールでご連絡ください。
コピーをお送りします。lyssrokuyoo@vc.tnc.ne.jp まで。
23歳の私が茫然とそこに佇んでいます。

今夜は これで おしまい。   おやすみなさい




  

Posted by むろさん at 01:55Comments(0)

2011年08月12日

世の役に立たない事に血道を挙げた 20代。

こんばんは。はんこ倶楽部の社長してます むろさんです。
これは私の表側の姿です。ブログ初回のうしろ姿は、詩人になろうとした私の青春時代から始めましょう。
人は誰であっても詩人のはずです。やがて、教育機関へ進むに従い、人は頭が良くなってゆきます。
理屈や主義、理論や常識によって様々に武装を固めてゆきます。それはそれでその時々の時代の参画者としては、当たり前のことなんですが・・・・

高校(三島南高)時代、表向きは卓球やっていました。気持ちは物書きになりたかったのですが
文章力は全くだめで、途切れる事の無いエンドレスな文章を書いていました。つまり、
結論の遠い、果てしない言葉の旅のような文章でした。前後しますが 小学生の頃から私は空想癖が強く
2~3時間自分を主人公に据えた空想に浸り続けていました。中学の時も似た症状?でした。
高校になると妄想も加わり、苦しみまでも味わうようになりました。が、いよいよ文字に書き出そうとすると・・果てしない旅の始まりという訳で、まさしく国語力の欠如を痛感したというわけです。

高校時代、これも表向きは大学進学を標榜していましたが 実のところ文芸部に入るのが目的でした。
最初に入った大学では入学式前に、文芸部のドアをノックしていました。京都の大学へ移ってからも
文芸サークル入部一番乗りでした。そこで待ち構えていた方がT氏28歳。沼津は原のご出身。詩人一直線の方で、情熱的な彼の影響をたんまりと被ってしまい、以降5年の歳月を、詩とは何ぞや?の迷宮へさ迷う羽目になってしまいました。後悔は全くしていません。俳人・歌人・詩人・変人。世の役に立ちそうにも無い立派な「人」の一員に成れたのですから。次回は主宰してきた同人誌の話をしましょう。     


Posted by むろさん at 03:19Comments(0)青春万歳