2011年08月14日
同人誌の思い出
詩を書く人々との出会い・・・・・
京都で暮らしていた頃 下鴨神社近くの喫茶店を発行所にお願いして
「てんじょの鼠」という名の同人詩誌を発行しました。
その喫茶店「麦」はもうありませんが、湯治ののマスターは東大出身の
方でわたしたちの申し入れに一も二も無く快諾してくれました。
何を言おうとしているのか、現代詩ってのはサッパリわからへん・・・
とまあ大方の声は書評以前の段で 踵を返されてしまいました。
仕方が無いことです。詩は梵さんが悟りを得るまでの道程に似たとことがあり
ことばの霧は一朝に晴れ渡るものではありませんからね。
かくして 創刊号は大敗を喫しました。
同人誌も営業活動をするんです。地元京都新聞社 三大紙の京都大阪各支局
他は著名な詩人宅 出版社 他の同人誌へバンバン送りつけるんです。
1981年当時はメールもインターネットも無い時代です。
貧乏人の集まりでしたので、発行費用に発送費+はキツかったのを覚えています。
ところが第2号は完成度の高い作品をメンバーが持ち込み、満を持して読売新聞の夕刊
誌評欄へ、期待感あふれる紹介記事が載りました。ところが・・・
仲間の全てが読売新聞を購読しておらず(タイガースの宿敵巨人の会社)
好意的な評価も関西という風土にもみ消された格好となりました。
残念というよりは、無理も無いことといいましょうか・・・。
その時の 私の作品は
して風は、止んでおります。と かざぐるまの
勤めはたえず 風上へ向けられる・・・・
のフレーズで始まる「かざぐるま」という一編の詩でした。
何人かの年上の女性が 私の目の前でこの詩を朗読してくれたのが
嬉しい思い出です。
全編をご覧になりたい方は メールでご連絡ください。
コピーをお送りします。lyssrokuyoo@vc.tnc.ne.jp まで。
23歳の私が茫然とそこに佇んでいます。
今夜は これで おしまい。 おやすみなさい
京都で暮らしていた頃 下鴨神社近くの喫茶店を発行所にお願いして
「てんじょの鼠」という名の同人詩誌を発行しました。
その喫茶店「麦」はもうありませんが、湯治ののマスターは東大出身の
方でわたしたちの申し入れに一も二も無く快諾してくれました。
何を言おうとしているのか、現代詩ってのはサッパリわからへん・・・
とまあ大方の声は書評以前の段で 踵を返されてしまいました。
仕方が無いことです。詩は梵さんが悟りを得るまでの道程に似たとことがあり
ことばの霧は一朝に晴れ渡るものではありませんからね。
かくして 創刊号は大敗を喫しました。
同人誌も営業活動をするんです。地元京都新聞社 三大紙の京都大阪各支局
他は著名な詩人宅 出版社 他の同人誌へバンバン送りつけるんです。
1981年当時はメールもインターネットも無い時代です。
貧乏人の集まりでしたので、発行費用に発送費+はキツかったのを覚えています。
ところが第2号は完成度の高い作品をメンバーが持ち込み、満を持して読売新聞の夕刊
誌評欄へ、期待感あふれる紹介記事が載りました。ところが・・・
仲間の全てが読売新聞を購読しておらず(タイガースの宿敵巨人の会社)
好意的な評価も関西という風土にもみ消された格好となりました。
残念というよりは、無理も無いことといいましょうか・・・。
その時の 私の作品は
して風は、止んでおります。と かざぐるまの
勤めはたえず 風上へ向けられる・・・・
のフレーズで始まる「かざぐるま」という一編の詩でした。
何人かの年上の女性が 私の目の前でこの詩を朗読してくれたのが
嬉しい思い出です。
全編をご覧になりたい方は メールでご連絡ください。
コピーをお送りします。lyssrokuyoo@vc.tnc.ne.jp まで。
23歳の私が茫然とそこに佇んでいます。
今夜は これで おしまい。 おやすみなさい
Posted by むろさん at 01:55│Comments(0)